6&4

アイルランドの本(小説・児童書・YA)と気になったニュースを紹介するブログです。

5月試し読みまとめ

The Border 

The Border: The Legacy of a Century of Anglo-Irish Politics (English Edition)

The Border: The Legacy of a Century of Anglo-Irish Politics (English Edition)

 

ジャンル:ノンフィクション、歴史、政治

ページ:192

あらすじ:20年前まで、アイルランド北アイルランドの間には明確な国境があった。グッドフライデー合意の後、そのボーダーはほぼ消えさったはずだった。Brexitが決まるまでは。過去1世紀の歴史をたどり、現代にまで続くイギリスとアイルランドの政治問題を明らかにしたノンフィクション。

他の本でも「Brexitが決まって初めて、イギリスの人たちは『そういや自分たちの国って他国と地続きで接しているんだった』と気がついた」と書かれていたほど、置いてけぼり感が強かった北アイルランドアイルランドとの国境が意識されるのは、いつも何か問題があった時ばかりです。

内容はかなり深いと思います。歴史の流れや主要人物を押さえているのは当然としてそこから詳しい解説をしていくので読むのに時間がかかりました。

The Wrong Country 

The Wrong Country:  Essays on Modern Irish Writing (English Edition)

The Wrong Country: Essays on Modern Irish Writing (English Edition)

 

ジャンル:ノンフィクション、文学、詩

ページ:294

あらすじ:アイルランド近代文学について論じた本。Y.B.イェイツから現代にいたるまで歴史、文化の帰属性や売り方、デジタル時代におけるこれからのアイルランド文学について語る。

文学とは言うものの、作者が詩畑の人なので詩の話題が多めです。本の題はアイルランドの作家ヒューゴ・ハミルトンの作品"Speckled People"からの引用です。

You can't be afraid of saying the opposite, even if you look like a fool and everybody thinks you're in the wrong country, speaking the wrong language. 

めちゃくちゃ良い言葉。

The Scholar 

ジャンル:シリーズ物、ミステリー

ページ:377

あらすじ:アイルランドで最大手の製薬会社の後継者である少女が死体で見つかった。Cormacはさっそく捜査に乗り出すが、調べれば調べるほど、少女の死と、自身の恋人Emmaの関連が明らかになっていく。

"The Ruin"と同じく、Cormac Reillyを主人公(探偵役)とするシリーズ物です。前作もそうでしたが、書き出しが超魅力的なんですよね。引き込まれます。Cormacも人間臭くて好きなキャラクターです。

BOLD, BRILLIANT & BAD 

Bold, Brilliant and Bad: Irish Women from History (English Edition)

Bold, Brilliant and Bad: Irish Women from History (English Edition)

 

ジャンル:ノンフィクション、歴史

ページ:352

あらすじ:アイルランドにはさまざまなジャンルで活躍した女性が多くいる。その女性たちをカテゴリーごとに紹介した本。

索引のみで試し読みが終わってしまった…悲しい。とはいえ、名前から気になるページに飛べるのはありがたい仕様です。

The Gift of Friends 

The Gift of Friends (English Edition)

The Gift of Friends (English Edition)

 

ジャンル:家族、人生

ページ:480

あらすじ:Kingfisher Roadは平和で穏やかな住宅街。10軒あるうちの1つに、婚約者とともに引っ越してきたDanielleは、近所に住む4人の女性と交流を深めていく。

去年感想を書いた"Letters to my daughters"の作者Emma Hanniganの遺作となりました。彼女の書く物語はどれも温かみにあふれていて安心して読むことが出来ます。あと何でか女性の気持ちの機微が具体的で現実感あるんですよね。久々に息子が帰ってきて何週間か泊まるよ、と言った時の嬉しさとめんどくささの入り混じったような感情とか。

rokuyon64.hatenablog.com

 

レビュー:The Earlie King & the Kid in Yellow

The Earlie King & the Kid in Yellow (English Edition)

The Earlie King & the Kid in Yellow (English Edition)

 

ジャンル:ディストピア、ロマンス(他殺体の詳しい描写程度のグロあり)

ページ:368

あらすじ

アイルランドに雨が降る。Digital catastropheの後で、雨は止まなくなり、アイルランドは沈みつつあった。海は酸で汚染され、魚が住めなくなってしまった。そのアイルランドを支配しているのがThe Earlie Kingだった。彼は親衛隊を使って街を監視していた。そんな中、黄色づくめの少年(Kid)がKingの所へ忍び込む計画を立てていた。

雨と炎、KIDとKINGの物語。

登場人物

KID

黄色いレインコートを着た少年。年齢は13~15歳、正確なところは本人もわからないらしい。街の北のスラムにあるアパートで兄と暮らしている。本名をひた隠しにしているため、兄と友人Clemしか名前を知らない。

昔はKingの使いっ走りをしていたが、ある時からKingと対立するようになる。街中にハートマークの中に「T」のサインを残す。

The Earlie King

街の支配者。至る所に王冠に目のマークを描かせている。プライベートやそれまでの経歴は一切謎で、雨が降り出し、海が酸でやられた後にどこからか現れて拳一本で街の支配者へ昇りつめた。10人の親衛隊(Earlie Boys)と、その他使いっ走り(runner)がいる。

最後まで読んでもよくわからない人でした。悪でもなく、正義でもなく。ただステゴロでテッペンとったのはロマンがあります。

T

Kingの娘。とても良い子という評判だった。KIDの語る物語と彼自身を心から愛していた。物語開始時には既に故人。

babba

babyのこと。Kidはこのbabbaの行方をずっと探している。

O'Casey(オケーシー)

記者のような野次馬のような。Earlie Boysや王の行動を密かに探り、KIDの行方を追っている。

この小説の語り手です。章ごとに表現方法が異なるのですが、8割方O'Caseyが調べた、もしくは語ったことになっています。

感想

ピーターパンが、大人になるまで

この小説は色んな要素を持っています。内容だけでもディストピア(ポストアポカリプス)、環境破壊、国家転覆、宗教その他もろもろ。文章構成にしたって章ごとにバラバラ。ト書きになっている場面もある。文体は芝居がかって気障な感じ。それ以外にもいろいろ。要素を全て書きだすのは多分私には無理です。

 

それでも、この話はKIDが中心、彼のための物語です。KID自身や彼を追う人間が順番に現れてはKIDについて語っていきます。

その中でKIDは1度だけピーターパンと呼ばれます。そして1度だけピーターパンと自称します。文明が崩壊しつつある世の中で、物語や詩を諳んじることのできるKIDにピーターパンの話をねだったTとの会話でのことでした。そこでTは自らをウェンディにたとえています。

 

このKID=ピーターパンは、作中を一貫している図式なのではないか、と思います。この小説は愛することを知らないピーターパン(KID)が、最終的に愛を獲得していく物語なのです。

そう考えると、KIDが少年である必然性が見えてきます。この主人公はちゃんとした名前を持っているのですが、作中で呼ばれることはほぼありません。KIDは常にKIDと呼ばれます。そのことでKIDは1個人でありながら普遍的な少年の象徴にもなり得ています。KIDは何物にもとらわれない自由を持ち、圧倒的支配者であるKingにすら反抗できる。恐れを知らない子どもだからこそです。

O'Casey視点のKID像とKID視点がわかりやすいかと思います。O'Caseyの見るKIDはミステリアスで自由。支配者のKingの支配を唯一覆すことができるダークヒーローのよう。対してKID視点だと、世界を中途半端に知っていてまだまだ未熟な、普通の少年でしかありません。フック船長と勇敢に戦うピーターと、強がりながらもウェンディ(母)の愛を欲しがるピーターの2面性と重なります。

 

しかしピーターパンとKIDには大きく違う点があります。自由で気紛れ、愛着が長続きしないピーターパンに対し、KIDは最初から最後まで一貫してTを愛し、執着しています。KIDが作中で語るTとの思い出はどれも美しく彩られていました。Tは大きな母性とでも言うべき愛でKIDを包みます。

愛を知らなかったKIDは刷り込みのようにTを愛しました。たぶん、KIDがTを愛した理由は「自分を愛してくれたから」という1点のみなんですよ。

だから、とりあえずTとの愛の証であるbabbaを奪還はしてみるけれど、その後どうしたらいいのかわからない。愛されて、愛を返すことはできる。それが愛を与える側になるとKIDはやり方を知りません。

ある意味、そこがこの物語のスタートです。よくわからないままにネバーランドを飛び出したピーターパンは親としての愛を獲得することができるのか。

完成された世界観

この小説はとにかく世界観が完成されていて素晴らしいと、他の人もレビューで書いていました。荒廃したダブリン、降りやまない雨、プラスチックのレインコート越しの会話。確かにこの世界観を味わうだけでもこの本を読む価値はあるのでは。

さらに、この世界観を支えている文体にも意味はあるんじゃないかと思うんですよね。劇風の語り口、章によっては脚本のト書きになっていることもある。元々が舞台だったピーターパンのオマージュなんだろうかとも考えてしまいます。

長く冷たい雨の世界で、KIDは愛を知り、愛のために生き、愛を学ぶようになっていきます。それはつまり大人になると同時に、彼が少年でなくなることを意味します。ただの人になった彼に最早主役の器はなく、舞台を降りるしかありません。

作者は冒頭でこの物語を「悲劇」と表現していました。けれど最後まで主役だが愛を知ることのなかったピーターパンより、KIDはずっと幸せだったのではないかと、そう思います。

作者について

Danny Denton(ダニー・デントン)

これがデビュー作です。それ以外全く情報が出て来ない。YouTubeで本人がちょろっと朗読している動画あったので貼っておきます。

youtu.be

ちょっと聞き取りづらいですがエエ声です。

4月試し読みまとめ2

Vet On A Mission 

Vet On A Mission (English Edition)

Vet On A Mission (English Edition)

 

ジャンル:伝記、動物

ページ:272

あらすじ:獣医の作者による伝記。3人目の出産を控え、動物クリニックを新たに開設しようと考えた。しかしそれは中々の困難を極め……。

あふれ出るドリトル先生感。伝記と言いつつ、訪れた患者(獣?)はプライバシー保護のため多少脚色したり変えたりしている部分があるそうです。完全に小説として読めるくらい世界観が出来上がっていました。

The Seven-Day Soul 

The Seven-Day Soul: Finding Meaning Beneath the Noise (English Edition)

The Seven-Day Soul: Finding Meaning Beneath the Noise (English Edition)

 

ジャンル:マインドフルネス

ページ:336

あらすじ:心理学者でありマインドフルネス瞑想の講師も務める著者が、日々の生活に寄り添って霊的・精神的なものについて解説した。考え方の改革と人生にそれをどう活かすかを平易な文で書く。

とてもわかりやすいです。私はひねくれた人間なのでこういうスピリチュアル系を斜めから見てしまいがちなのですが、内容というより文章から透けてみえる著者の人格を魅力的に感じました。もっとこの人の考えに触れてみたい、というか。自身で言うように敬虔なカトリック教徒として育ちながらキリスト教を他の宗教・思想と同一に並べてしまえるのは、すごい、のひと言です。

何より、「考えや習慣を改めるには、まず言葉というものには限界があるということを知れ」と書いていたのが非常に好感度高いです。

Diary Detectives

Diary Detectives (Cass and the Bubble Street Gang Book 3) (English Edition)

Diary Detectives (Cass and the Bubble Street Gang Book 3) (English Edition)

 

ジャンル:ミステリー、児童書

ページ:191

あらすじ:CassとLex、Nicholasの仲良し3人組シリーズ3作目。3人はある日、持ち主不明の日記を拾う。そこには恐ろしい犯罪計画が記されていた…!

主人公は10歳で、対象年齢もそのくらいを想定しているのか大分簡単な言葉で書かれています。挿絵もたっぷり。しかし平易で短い文ながら、物語の先を知りたくなる文章にもなっています。うーんさすが。

何より、児童書でKindle版が出ているのは貴重です。The O'Brien Pressは元々好きな出版社なのですがさらに高感度上がってしまう。

If She Returned

If She Returned: An edge-of-your-seat thriller (English Edition)

If She Returned: An edge-of-your-seat thriller (English Edition)

 

ジャンル:サスペンス

ページ:448

あらすじ:20年近く探し続けていた行方不明の姪Bethが見つかった。彼女は本物のBethなのか?なぜ今になって急に現れたのか?同時に、都市伝説が絡んだ連続殺人事件が勃発する。

"When She Was Gone"、"After She Vanished"に続くDanniganシリーズ3作目。行って、消えて、帰ってきました。最初の章は都市伝説Mother Joanに絡んだ事件が語られています。こういうSCP財団的なの好きです。書き方もネットに投稿された体をとっている場面があり、とても現代らしい小説だと感じました。

Becoming Belle 

Becoming Belle (English Edition)

Becoming Belle (English Edition)

 

ジャンル:歴史、恋愛

ページ:371

あらすじ:19世紀、ヴィクトリア朝時代の英国。軍人の家庭に生まれた3姉妹の長女Isabelはずば抜けた容姿と歌の才能を持っていた。自身の実力を舞台で輝かせたいと、ロンドンに出たIsabelはBelleと名乗り劇場で歌うようになる。仕事、そして恋とBelleの人生はめまぐるしく変化していく。史実に基づいた物語。

ダウントンアビーの、小規模版のような雰囲気でした。Isabelがまた愛らしいんです。性格良し、家事できる、美人て最高じゃないですか。

Belle Biltonは実在した人物です。女性は結婚して家に入るのが当然だったこの時代、身ひとつでアイルランドからロンドンへ出ていったBelleも、それを許した父も立派な人だと思います。

4月試し読みまとめ

Apple of My Eye

ジャンル:サスペンス

ページ:400

あらすじ:Eliは妊娠してからというもの、体調の優れない日々が続いていた。そんな中不審な手紙が届き、Eliは疑心暗鬼に捕らわれるようになってしまう。

妊娠ってこんなに辛いの?と思わせる描写が長く続きます。母になるって大変なのですね……。体調や気分が優れず、夫を疑ってしまう・夫の気遣いがまるで子ども扱いされているようでイライラする自分を嫌悪してしまうあたり、Eliは本当に真面目で優しい人なのでしょう。夫Martinも彼は彼で、「そんなに心配しなくて大丈夫」と言われたことに対し「でもしちゃうんだ、好きだからね」と返せるイケメンっぷり。

Orchid and the Wasp 

Orchid and the Wasp: A Novel (English Edition)

Orchid and the Wasp: A Novel (English Edition)

 

ジャンル:家族、成長

ページ:346

あらすじ:Gael Foessは中々に厳しい人生を送っていた。仕事ばかりで子どもに関心のない両親、Gael以外守ってくれる人がいない弟。不満をこぼしながらも生きていたある日、父が家族を捨てた。弟を守るため、Gaelはロンドン、そしてニューヨークを旅することになる。

文章がビビッドで素敵、と思っていたら他のレビューサイトでも同様に言われていました。わかる。比喩の使い方が鮮やかです。

余談ですがOrchid(蘭)をずっとOrchardと空目してました。蘭と蜂というと、蜂に擬態してオス蜂を誘うオフリスが思い浮かびますね。

The Healer 

The Healer: a dark family drama (English Edition)

The Healer: a dark family drama (English Edition)

 

ジャンル:ミステリー、家族

ページ:395

あらすじ:1940年代のアイルランド、Mollyのような女の子にとって生きていくのは難しい時代だった。容姿端麗で特別な力を持つ子はなおさら。人を癒し、出血を止める力を持つと言われるMollyは、成長するにつれて暴力と犯罪に巻き込まれていく。

これ主人公もサイコパスじゃないですか?というくらい思考回路が理解できませんでした。でも面白くて読んじゃう…不思議…。

Mollyが本当に特別な力を持っているかどうか、試し読みの範囲では判別できませんでした。周りと本人がそう思い込んでいるだけなのか、それとも本当なのか。どちらにせよ、癒しの手をもつ人間は誰に癒されればいいの……というお話みたいです。

Bumpfizzle the Best on Planet Earth 

Bumpfizzle the Best on Planet Earth (English Edition)

Bumpfizzle the Best on Planet Earth (English Edition)

 

ジャンル:児童書、ユーモア

ページ:128

あらすじ:Bumpfizzleは異星人だ。惑星Plonkからとある使命を帯びて地球へ降り立ったのだ。あるいは、Bumpfizzleは10歳の普通の男の子だ。最近両親が生まれたばかりの弟に構ってばかりで嫌気がさしている。どちらがBumpfizzleの本当の姿なのかは、読者次第。

試し読み範囲少なかったのでいまいち文体だとか雰囲気はわからないのですが、日記風につづられているパートと普通の小説体(1人称)で書かれているパートが交互に出てくるようです。日記風に書かれているのが異星人としてのBumpfizzleかな…。

When All is Said 

When All Is Said: A Novel (English Edition)

When All Is Said: A Novel (English Edition)

 

ジャンル:人生、家族

ページ:326

あらすじ:これは一晩で語られた、1人の男の人生の話である。6月、土曜の夜、ホテルでMaurice Hanniganは5杯の酒を注文した。それぞれ1杯ずつを人生で関わった5人に捧げ、Mauriceはその人物との話を物語るのだった。

聞き手=読者のパターンでした。『ライ麦畑でつかまえて』形式ですね。穏やかで客観的な語り口と思ったら、たまに感情というか、語り手の人格が見えることもある。波のように寄せては返す文体でした。他サイトで「美しい文章」と言われていたのも納得です。

Dublin Literary Award2019ショートリスト

Dublin Literary Awardとは

年に1度発表される国際的な文学賞。英語で出版された、あるいは英語に訳された本がノミネート対象になります。

英語で書かれた本であれば、2017年1月1日~同年12月31日までに出版されたもの。他言語であれば、2013年1月1日~2017年12月31日までに原作が出版され、2017年1月1日~同年12月31日までに英語へ翻訳出版されたもの、が今年は対象になるそうです。

今年で24年目。国際的文学賞ですがダブリンに拠点を置く企業とダブリン市図書館などの後援を受けているためこの名称になっています。

公式HPはこちら→International DUBLIN Literary Award

日本語のWikiありました→国際IMPACダブリン文学賞 - Wikipedia

去年の記事はこちら。

rokuyon64.hatenablog.com

2018年の受賞作はMike McCormack氏の"Solar Bones"でした。思考をそのまま文章に落とし込んだような難解な冴えないおっさんの話です。一応読んだのですが、難しすぎて感想記事は書けなかった…。

ショートリスト

Compass(by Mathias Énard tr.Charlotte Mandell) 

Compass (English Edition)

Compass (English Edition)

 

フランス語からの翻訳。

不眠症音楽学者Franz Ritterは、夜毎に思い出をさまよっていた。中東への旅、そこでの様々な人との出会い……。その思い出の中心には最愛の人Sarahがいた。エッセイ風に書かれた19世紀~20世紀初頭を舞台にした物語。

作者は小説家として活躍しつつ、ペルシア語・アラビア語の翻訳も手掛けるそうです。自身はフランスからスペインに移住していますね。中東にも長く滞在したのだとか。

ジュンパ・ラヒリがイタリア語を学び、イタリア語の翻訳や執筆をするようになった、というニュースもそうですが、こういうのを聞くといよいよもって作家のグローバル化を実感します。

本文はノスタルジックかつメランコリーに、Franzにとって最も輝いていた中東を旅した日々が綴られています。こういう言い方は良くないのですが、すごくフランス文学っぽい。文章の美しさだけでなく、ヨーロッパと中東の微妙な緊張関係も巧みに表現されているとのコメントがありました。作者の経験あってこそ書けるものなのでしょう。

History of Wolves(by Emily Fridlund) 

History of Wolves: A Novel (English Edition)

History of Wolves: A Novel (English Edition)

 

14歳のLindaはミネソタ州北部の森の中で親と暮らしていた。家でも学校でも孤立していたLindaは、神秘的なLilyと新しく赴任してきた歴史教師Griersonに惹かれていく。しかしGriersonは児童ポルノ所有の疑いで逮捕されてしまう。ショックを受ける中、湖の近くに引っ越してきた一家のベビーシッターをやることになり、充実感を覚えるLinda。だが一家にも秘密があり、そこで彼女は人生の選択を迫られていくことになる。

作者はアメリカのミネソタ州出身です。短編集1冊、長編は今作が初のデビューしたて作家ですね。今作の第1章がMcGinnis-Ritchie Award for Fictionを受賞しているそうですが、1章を短編で書いて後から長編として書き下ろしたのかどうなのか。

中身に関しては、描写が美しいこと、田舎特有の雰囲気や冷酷なまでの物語展開が評価されていました。ジャンルはヤングアダルトです。

Exit West(by Mohsin Hamid) 

Exit West: SHORTLISTED for the Man Booker Prize 2017

Exit West: SHORTLISTED for the Man Booker Prize 2017

 

NadiaとSaeedは普通の若者だった。そして、普通ではない恋をした。

内戦が始まり、故郷から出ていかざるを得なくなった2人は世界のどこかにある自分たちの居場所を探し求める。

作者はパキスタン出身ですが、ロンドンやニューヨークに拠点を置いていることもあり英語で書かれた小説です。『コウモリの見た夢』が「ミッシング・ポイント」という邦題(原題"The Reluctant Fundamentalist")で映画化もされている人気作家。

今作は移民の心情に焦点を当てた小説のようです。どんな絶望の中で、孤独の中で、移民が過ごしているのか。それを我が事のように感情移入させた今作こそ、フィクション小説の存在意義を証明しているとコメントが付けられていました。

Midwinter Break(by Bernard MacLaverty) 

Midwinter Break (English Edition)

Midwinter Break (English Edition)

 

熟年夫婦のGerryとStellaはリフレッシュにと冬のアムステルダムへ旅行する。そこで英気を養い、老後の過ごし方を決めようと思ってのことだった。しかし冬の街中で母国アイルランドでの忌まわしい思い出がよみがえってしまう。それは2人の崩壊の始まりだった。

作者は北アイルランドベルファスト出身。北アイルランドの人々には英国籍とアイルランド国籍が与えられるため、賞のサイトでは両方の国マークがついてます。(作者の名前の横に国旗のアイコンが表示してある)小説の他、舞台やテレビ脚本でも活躍している方です。

アイルランドでの忌まわしい思い出というと、血の日曜日事件とかどうもそっち系を思い浮かべてしまいます。また、前に感想を書いたTravelling in a Strange Landも、表に出さないけど崩壊している家族の話でした。しかも冬。この共通点は何なのでしょうか。

ちなみに、この賞は司書のオススメでノミネートが決まり、それぞれ作品ページに司書のコメントが載っています。この小説につけられたコメントの中で

Forty years after his first book, MacLaverty has written his masterpiece.

というものがあって、短い文章でしたがすごく目をひかれました。奇しくもGerryとStellaは結婚40年目らしいんですよね。

Reservoir 13(by Jon McGregor) 

Reservoir 13: WINNER OF THE 2017 COSTA NOVEL AWARD (English Edition)

Reservoir 13: WINNER OF THE 2017 COSTA NOVEL AWARD (English Edition)

 

イングランドにある小さな丘の村で、休暇に来ていた少女が行方不明になった。警察やマスコミが普段閑静な村にやって来て、村人は捜索へと駆り出された。季節が巡り少女の捜索が続く中、村を離れていく人、戻って来る人、一緒になる人、別れる人が出てくる。自然は変わらずそこにあった。そしてこの事件は、思わぬ余波を引き起こすことになる。 自然の摂理と人間の暴力性を描いた物語。

賞のサイトのあらすじを読んでも、さっっっぱりわからん!となったのでGoodreadsのあらすじを参照しました。賞サイトの方は何なのでしょう…聖書になぞらえているのか?

作者は英国出身、賞を多数ノミネート/受賞している売れっ子です。デビュー作『奇跡も語る者がいなければ』は邦訳されてますね。Writingで教鞭も取ってます。中々のイケメン。デビュー作も今作もコミュニティを描いた小説で、文体が斬新と評されていました。

Conversations with Friends(by Sally Rooney) 

Conversations with Friends

Conversations with Friends

 

Francesは21歳、ダブリンで学生をしつつ小説家を夢見ていた。親友のBobbiと共にジャーナリストMelissaに取材され親しくなってから、2人はセレブな世界に入っていくことになる。Melissaは有名な俳優Nickの妻だったのだ。しかしNickとFrancesは徐々に親しくなっていってしまう。

去年"Normal People"でブッカー賞にノミネートされたことで日本でも有名になった…と勝手に思い込んでいるのですが…作者はアイルランド出身、期待の新星です。2018年のIrish Book Awardsも獲ってました。出版されたのは"Normal People"より今作が先、デビュー作です。簡素な文章で登場人物の心情を巧みに描き出す作風はこの時からあったようです。

ところであらすじでBobbiについて「(Francesの)Best friend」で「used to be girlfriend」と表現してあったのですがどう受け取ったらよいものか。恋人という意味で取って構いませんか。

Idaho(by Emily Ruskovich) 

Idaho: A Novel (English Edition)

Idaho: A Novel (English Edition)

 

ある暑い8月、その一家は白樺の木を伐採しに来ていた。母Jennyは余計な小枝を切り落とし、父Wadeは丸太を積み重ねていく。9歳と6歳になる娘JuneとMayは枝編みをし、ハエを追い払い、レモネードを飲み、歌を歌って過ごしていた。そんな家族を悲劇が襲う。

作者はアメリカ、アイダホ出身です。これがデビュー作。今回のノミネートは作者の地元を舞台にしたものが多い気がします。やはり思い入れがあり書きやすいのでしょうか。

構成が巧みと評されていました。レビューを見て回っていたら、とんでもないネタバレをされてしまった…。かなり衝撃を受けました。 確かにこれはすごい構成。一方で娘2人の名前の由来が簡単に推測できそうなところも好きです。

Lincoln in the Bardo(by George Saunders) 

Lincoln in the Bardo: WINNER OF THE MAN BOOKER PRIZE 2017 (English Edition)

Lincoln in the Bardo: WINNER OF THE MAN BOOKER PRIZE 2017 (English Edition)

 

南北戦争のさなか、リンカーン大統領の愛息が病で死んでしまう。遺体は丁寧に埋葬されたが、リンカーンは息子を抱き締めようと夜な夜な墓場を訪れていると新聞に報じられた。リンカーンはそこで死にきれずさまよう霊魂たちと出会う。

これは邦訳されています。 

リンカーンとさまよえる霊魂たち

リンカーンとさまよえる霊魂たち

 

史実を基にした小説です。本文が引用文のように書かれているのが1番の特徴でしょうか。引用元は民明書房的な架空のものもあるそうですが。

A Boy in Winter(by Rachel Seiffert) 

A Boy in Winter (English Edition)

A Boy in Winter (English Edition)

 

ドイツ侵攻の数週間後、1941年11月早朝、ウクライナの小さな町が襲われた。少年Yankelは弟と共に強い意志で激動の3日間を生き抜いていく。

作者は英国出身、戦争とドイツを題材にした小説を多く書いているようです。ブッカー賞を取った『暗闇のなかで』収録の話が「さよなら、アドルフ」の邦題で映画化もされています。

主人公は恐らくユダヤ人でしょうか。絶望の後の希望や、人々の慈悲を描く、とあらすじに書いてあるのに少しだけ安堵します。

Home Fire(by Kamila Shamsie) 

Home Fire: A Novel (English Edition)

Home Fire: A Novel (English Edition)

 

Ismaは自由になった。母の死後、下の双子2人を育てあげ、やっとアメリカで自分のしたい勉強ができるのだ。しかしIsmaは双子、美人のAneekaのことも、夢を追い掛けて行方不明になったParvaizのことも心配でならなかった。さらにはロンドンで力を持ったムスリムで政治家の息子Eamonnが彼らの人生に入り込んできて波乱を起こす。愛と政治が絡み合った物語。

作者はパキスタン出身ですが、英国籍も持っていて英語で書かれた小説です。この"Home Fire"はブッカー賞はじめ様々な賞にノミネートされているので代表作とされていました。

作品については現代の『アンティゴネ』と称されていました。なるほど、それで政治家か。

 

 

以上、ノミネート作品です。

昨年はノミネート11作品中6作品が翻訳モノでした。今年は10作品中1作のみ。

かといって英語圏の作家ばかり取り上げられている印象はありません。むしろ、英語を第2言語として執筆する国際色豊かな作家が増えてきたような気がします。異邦人としての自分を強く意識し、居場所を求める物語が多いとも思いました。

反面、作者の地元を舞台にした小説も多いんですよね。ただそんな中でも主人公は疎外され、孤独感を持っているというのが共通しています。どんどんと世界が広がって、言語も距離の壁も取り払われつつある現代。逆にお隣さんがどういう生活をしてどういう文化を持っているのかすら知らない。大きな目で見ればコミュニケーションがとりやすく、個人間で見ればコミュニケーションが希薄になっている世の中を映したショートリストではないでしょうか。

3月試し読みまとめ

A Short History of the IRA 

A Short History of the IRA: From 1916 Onwards (English Edition)

A Short History of the IRA: From 1916 Onwards (English Edition)

 

ジャンル:歴史、ノンフィクション

ページ:224

あらすじ:IRAアイルランド共和軍)の歴史を綴った本。成り立ちから組織の目的、行動理念などを過去から2018年までたどる。

1つひとつが項目立てになっていて読みやすいです。たとえば初っ端はイースター蜂起の章になっています。結構緩急のある文章で飽きさせません。The O'Brien Pressは歴史モノの本を頻繁に出しているので信頼感がありますね。

Jott 

Jott: A John Murray Original (English Edition)

Jott: A John Murray Original (English Edition)

 

ジャンル:友情、精神

ページ:304

あらすじ:1935年2月、アイルランド人であるArthur(アーサー)とLouis(ルイス)は連れだって精神病院の庭を散歩していた。2人は幼い頃から友人だったが、今の立場は全く違う。医師見習いのArthurと患者であり作家でもあるLouis。モダニズムや戦争が迫る時代の友情と狂気の話。

冒頭のお散歩シーンが「こころ」のKと先生のと重なって見えました。性格も、トラブルメーカーだが才能あふれるLouisとそれに振り回されつつ親友として大事に見ているArthurと、何となく似通っているような。落ち着いた文体ですらすら読めます。

For the Good Times 

For The Good Times (English Edition)

For The Good Times (English Edition)

 

ジャンル:IRAアイルランド、若者

ページ:368

あらすじ:1970年代、ベルファスト北部の街ArdoyneでSammy(サミー)は暮らしていた。日々を友人3人と過ごしているSammyだったが、ある女性との出会いが日常を変えていく。IRAについて新たな側面から描く。

ジャンル:アイルランドってどうなんでしょう。でもそれ以外何と表現したらいいのか。 あらすじも色々な要素があって書ききれません。ロックミュージックやらファッションやら暴力やら性やら。Ardoyneは昨年ブッカー賞を獲ったAnna Burnsが育った街であり、カトリック色が強いエリアでもあります。文体はすごく……若者です……。ころころ話題が変わる。

Waterford Crystal 

ジャンル:ノンフィクション、歴史、工芸品

ページ:300

あらすじ:世界的に有名なウォーターフォード・クリスタルウォーターフォードの地でガラス工芸がどのように始まり、ブランド化されていくに至ったのか歴史を写真付きで解説した本。

恥ずかしながらウォーターフォード・クリスタルというブランドをこの本で初めて知りました。写真がふんだんに使われていて、その美しさに驚きます。ウェストミンスター寺院のシャンデリアもウォーターフォード・クリスタルだそうです。本文はかなり詳しいところまで取材してあってガラス工芸の始まりから職人の家事情まで丸裸です。表などもあり、当時どのくらいで取引されていたのか知ることができるのも良い。

Dirty Little Secrets 

ジャンル:サスペンス、サイコスリラー

ページ:400

あらすじ:Withered Valeに住む住人は、金、地位、名誉、全てを持っていた。ある時、住人の1人Olive Collinsが遺体となって発見される。他の住人6組はお互いがOliveの死に対して何らかの隠し事や得をしていると思っていた。

アイルランドではミステリー作家として安定の人気を誇るJo Spainの新作。語り口が斬新でした。死体は語る、と言えばいいのか…。サスペンスのはずなのに妙に軽い感じの文章なんですよね。去年のThe Confessionとはまた違う雰囲気でした。

Taney:Progress of a Parish 

Taney: Progress of a Parish (English Edition)

Taney: Progress of a Parish (English Edition)

 

ジャンル:歴史、教会

ページ:192

ダブリンにある教区Taneyの歴史や文化、発展を描いた本。

当時の記事や昔に書かれた歴史本からの引用もある、通俗史です。Taneyはダブリンのダンドラムにある、有名な教区なのだとか。写真がたくさん掲載されています。雪の中の教会を映して「めちゃかわいい」とコメントが付いてるのが愛情を感じて良い。

レビュー:The Cruelty Men

本について 

The Cruelty Men (English Edition)

The Cruelty Men (English Edition)

 

ジャンル:歴史、アイルランド

ページ:368 全95章

普段より長くなったので目次を置いておきます。

あらすじ

たとえ侵略され国土を失い、時代が変わったとしても、物語だけは征服されない。Bolus Headで生まれたMary(メアリー)は、親や弟妹と共にMeath(ミーズ)のゲールタハト地域へ移住する。両親がいなくなってからは若干11歳のMaryが家庭を支えていた。そうしないとThe Cruelty Menがやってきて弟たちを酷いところへ連れ去ってしまうからだ。物語を覚えるのが得意だったMaryは弟妹にもそれを語って聞かせていた。家族はそれで幸せだったが、時代と共に困難へ直面していく。

登場人物

登場キャラクターは無数にいます。何と言っても1935年~1969年までの家族史ですから、家系図を追うのだけで精一杯、むしろよくわからない。Bridgetなんて4人くらい出てきた気がする。

そういうわけで以下の登場人物さえ押さえていれば何とかなるかな、というレベルの人物紹介です。ただ、重要人物であっても敢えて説明していないキャラがいます。この本は章タイトルが「章の主人公:タイトル」になっていて、ネタバレ配慮の為か目次ですら巻末に載せていたくらいでした。この記事でも恐らくネタバレになるだろうなという人物には触れないでおきます。

作中で久々に登場した人物には本文で説明があるので出てくる人数のわりにはわかりやすいかもしれない。

O Conaill(オコネル家)

Mary(メアリー)

メイン主人公。長女。11歳で家計、農場を切り盛りするようになる。物語を覚えるのが得意で、それを弟妹たちや知り合いに語って聞かせるのが好き。

とても強い子です。たった1人で文句も言わずただがむしゃらに家族を支え続けました。少し頭の固いところもありますが、それでも「これからの時代に古い物語は必要ないのかもしれない」と考えるなど全くのカタブツではありませんでした。

Seamus(シェイマス)

長男。Maryの2歳下。家は男児が継ぐものと決まっていた当時、18歳になったら農場を相続することになっていました。

バカがつくほど真面目。無口。兄弟姉妹の中では多少異質な存在として描かれてます。

Maeve(メーヴ)

三女。Maryの7歳年下。O Conaill家は美男美女揃いです。しかも金髪碧眼。その中でもMaeveは1番の器量良しと言われています。

性格は真面目で働き者、Maryの物語を聞くのが大好きな良い子です。特にアイルランドの神話"Children of Lir"(リルの子どもたち)が好き。ここテストに出ます。

Seán(ショーン)

末っ子。頭が良く、優しい。妖精を見ることができる。Maryが大好き。Maryをこの弟を大事に思い、彼の人生を成功へと導くことがMaryの生きがいにもなってきます。

優しいがゆえの繊細さを持つ人物でした。

Padraig(パトリック)

兄弟姉妹の中ではSeamusと違った意味で異質です。2歳の頃から妖精の世界へ浸るようになり、家で寝ない、服もまともに着替えられなくなってしまいました。Padraigが主人公の章もいくつか出てくるのですが、完全に違う世界が見えちゃってますね…。チャンネルが違うと言えばいいのか、同じ世界でも見ているレイヤーが違うと言えばいいのか。彼のような子どもを指して「祝福された子」と表現されていることもありました。また男兄弟の中では一番の美形でそれこそ妖精のようだとか。ただ彼は金髪でなく黒髪だったみたいです。

その他

Connaire O Mac Tire(コネル・オ・マクティア)

1653年主人公。カタカナ表記は自信ありません。しかし今はネットで発音が聞ける良い時代になりました。

村をクロムウェルに焼かれ、1族最後の生き残りとしてアイルランドの森へ潜みます。そこでオオカミを頼って地下世界(=古い神々の世界)を目指しました。

ここのパートがすごく神話的で好きです。Mac Tireはアイルランド語でオオカミを意味し、その名に負けずConnaireはオオカミの如く森を進んでいました。古いアイルランド人は動物へ変身することができたと信じられていたようです。彼はオオカミに、Maryはノウサギに変身したと言及されるシーンが度々登場します。Maryに関しては濡れ衣。

彼の子孫であるBatt(孫)、Bride(ひ孫)、Sadhbh(玄孫)も主人公として登場します。たぶんMaryたちも血縁かな……。

Patsey(パッシィ)

Maryたちのお隣さん。調べてたら女の子の名前と出てきたのですが、おっさんです。良い人で色々とMaryたちの面倒を見てくれる。また大牧場主でもあります。

物語補足

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Bolus Head

Maryたちの生まれ故郷。Maryは生涯この土地を忘れることはありませんでした。

地図を見て分かる通り、アイルランドの最西端であり、とにかくはじっこです。場所はケリー、Iveragh peninsulaの一角をなしています。現在ではハイキングコースとしておすすめされていますね。写真を見ても草が生い茂るばかりの山道です。ジャガイモ飢饉が起こる前は村がありました。現在は芸術家たちの村として再開発されているのだそうです。

ここがEdge of the worldと小説では何回か呼称されていました。確かに、テレビも何もない時代、あの海を前にしたら世界の果てだと思うかもしれない。

Meath(ミーズ)

アイルランドの県です。ダブリンの上あたり。Maryたちは上記生まれ故郷からここまで移住してきます。本文はほぼ全部英語で書いてあるのですが、MaryたちはMeathのゲールタハトにいるので、ここで交わされる会話は基本アイルランド語です。

Mullingar(マリンガー)

ウェストミーズの都市。湖が有名だそうです。

ここに精神病院があり、何度か登場します。Mullingarで検索すると古くからある精神病院が出てくるのでそこがモデルでしょうか。

Magdalene Laundries

カトリック教会によって運営されていた「不適格な女性」を集めた場所。売春婦やふしだらな行為をしてしまった女性を集めていたといいます。Laundriesとついているのは、集められた女性が各地の病院などから届けられたリネンを洗濯していたからです。運営側はタダで労働力を手に入れられるという。救貧院と似たようなものです。女性たちに自由はなく、ムチで打たれることもありました。監督役はシスター。

Industrial School

孤児や育児放棄された子どもたちを収容する施設。これもカトリック教会によって運営されていたものが多かったようです。簡単に察せられるかと思いますが虐待が横行していました。作中で出てくるSchoolでは子どもに名前が与えられず、番号で呼ばれます。先生の機嫌ひとつで殴られるなんていうことも日常茶飯事。

クロムウェル

作中で何度か言及のあるクロムウェル。歴史の授業で習うオリバー・クロムウェルその人です。クロムウェルアイルランド侵略により、以降のアイルランドは英国植民地的な扱いをずっと受け続けることになりました。彼のカトリック迫害や大量虐殺はアイルランド人の心に影を落とし、現在でも侵略の象徴としてクロムウェルの名を見ることがままあります。

Fomorian(フォモール族

アイルランドの神話より。古来からアイルランドに住み着いている神族で、トゥアサ・デ・ダナーンによって駆逐されます。PadraigはMaryの語るFomorianの話が好きで、この時だけ大人しくしているとか。実際、Padraig主人公の章を見るに彼にはThe Cluelty MenがFomorianに見えていたっぽいですね。途中で出てくるKing of the Cruelty Menを指してFomorianの王Balor(バロール)になぞらえています。

Crom Cruach(クロム・クロアハ)

アイルランドの神話より。キリスト教化される前に信仰されていた神だそうですが、聖パトリックに駆逐されたとか。これもPadraigの世界にだけ登場します。

The Cruelty Men

司祭。茶色い服を着て子どもたちを捕らえに来る存在。子どもを連れ去っては強制労働させると言われています。オカルト的な存在ではなく作中では実在しています。

感想

神話と地続きの世界観

基本的にこの本は史実に沿って展開されていきます。クロムウェルアイルランド侵攻から始まり、ジャガイモ飢饉、アイルランド独立と時代は進んでいきました。

特徴的なのが神話と地続きのようになっている世界観でしょうか。この本を読んでいるとまるで古代アイルランドには本当に神々がいて、今は地下の国へ行ってしまったけれどPadraigのような特別な人だけがその姿を認識できるのだ、と信じてしまいそうになります。と、いうよりも、Maryのような昔のアイルランド人は本当にそう信じて生きてきたのでしょう。アイルランド独立も、IRAも、Maryたちにとっては遠い世界の話です。それよりも日々を生きる自然の中に、苦しい状況の拠り所に、神々と妖精は身近にいたのでしょう。

不思議な展開も少しだけあります。読み終わった今でも正体が朧気にしかわからない老婆がいるのですが、そういう存在によって小説が神秘的かつ魅力的になっているように思います。

物語を繋いでいくということ

この本は様々な時代の様々な人を主人公として繋がっていきます。そこに1本芯を通しているのが物語の存在です。章の主人公となる人物は、一部除いて物語を誰かから聞き、そして誰かへ繋いでいきます。それは何も血の繋がった相手でなくていいし、1人だけに教えるのでなくてもいい。

アイルランドではキリスト教が入って来るまで、口伝によって物語を継承していました。遥か昔から、誰かの話へ耳を傾け、覚え、また次の誰かに繋いでいく行為が繰り返され、物語は今に残っているのです。

その「物語を絶やしてはならない」という想いこそがその国を国たらしめているのではないのでしょうか。作中でアメリカに行ってしまった登場人物がその後一切登場しない、Maryが「アメリカに移住したら(私の語る)物語はもう必要ないでしょう」と考えるくだりからも、そう考えます。

日々の暮らしの中で物語を大事に語り継いできたMaryたちがいたからこそ、アイルランドは侵略されても自分たちを失わずにいられたのでしょう。もちろん独立に向けて動いた人たちは立派ですが、それでなくても日々を生き抜いてきた名も無き人々だって国としてのアイルランドをずっと支えてきたのです。この小説を読んでいて、そんな人たちにスポットライトを当てようとした作者の優しさを感じることがありました。

 

私見ですが、アイルランドの作家って「物語を創ることの意義」について作中で表現しようとする方が多いと思います。なぜ自分は物語を創るのか、なぜ物語は存在するのか、という問いかけをしながら小説を書いている感じがあります。

確かに、乱暴な言い方をすれば物語って何もしてくれません。苦しい時にその状況を変えてくれるわけでもなし、寒さ暑さ・飢えをしのいでくれるわけでもなし、侵略者から身を守ってくれるわけでもなし。けれど、物語があったから救われることも多分にあるでしょう。この本で言えばMaeveの場合がわかりやすいでしょう。彼女は理不尽な目にあっても物語を思うことで何とか自分を保つことができましたし、その物語を語って聞かせることで周りも救ってみせます。

大切なものを奪われ、居場所をなくし、人として扱ってもらえなくても、彼らの中にある物語だけは決して誰にも奪われないし穢すことは出来ません。 

第1章でクロムウェルに追い詰められ、最後Bolus Headに辿り着いたConnaireが以下のように考えるシーンがあります。ここ、本当に好きです。

For though our English neighbours had gathered all the harps and burned them, the stories could not be burned, or cut down, or hunted. The stories were an unconquered place.

彼の言うstoriesとはアイルランド人の魂そのものであり、そして物語を創り繋いでいく一番の意義なのではないかと思います。

そして、この本を著した作者自身も、この物語を書いたのは歴史を後世に残していくためでした。教会の腐敗、その陰にいた虐げられた子どもや女性たちを忘れないために物語を繋いでいく列に加わったのでしょう。

支配者としてのキリスト教

オーウェルが『動物農場』で描いたように、権力を持った者の腐敗は免れないのでしょうか。

アイルランド共和国では現在も約78%がカトリック教徒です。この小説の舞台となっている時代にカトリック教会は史実、前述のLaundriesやIndustrial Schoolを運営していました。閉鎖された空間、相手は自分より弱い子どもや女性、外の社会では神父さまとして尊敬の念を一身に集める…。これで増長するなという方が難しいのかもしれません。聖職者であるなら思いとどまって欲しいとは思いますが。

Industrial Schoolで子どもたちの教師役を務める修道士たちはやがて子どもたちを虐待するようになります。おねしょをしたら下半身裸にしてムチで打つ、機嫌が悪ければ殴るなど。そこにはもちろん性的な虐待も含まれていました。集められた子どもたちは怯え、暴力を避けるために修道士の顔色を窺うようになります。ますます増長する修道士、と悪循環です。作中では「教会だけがこの国を正しい方向へ導ける」との言葉まで修道士の口から出てきていました。

Laundriesも似たようなものでした。Laundriesの場合、監督役がシスターに代わるというだけのことです。Laundriesに入るのは結婚せずに妊娠してしまったなど「不適格な女性」たち。彼女らはシスターから「罪(sin)」をなじられます。女性はかつて男性に禁断の果実を食べさせた罪深い生き物だから、男性を誘惑する生き物だから、月経の血は女性の罪の象徴に他ならない、と説教されるわけです。これだけ否定されたら誰だって自尊心ズタボロですよ。シスターは男性名で呼ばれる、というのも男中心の世界っぽくて何とも。

とはいっても、教会の人たちが全員、そうした状況に心を痛めなかったわけではありません。人々の話を聞き、優しく教え諭す神父も作中に登場します。Industrial Schoolの在り方を改革しようとした修道士だっていました。しかし多勢に無勢、むしろ異端者だとして排斥されてしまいます。人間の心の弱さを感じずにはいられません。でもきっと、だからこそ弱さを抱えつつ意志を持って進もうとする姿にひとは感動を覚えるのでしょうね。

実際、作者はインタビューで「この小説で書きたかったのは教会や国に対する非難ではない。私が非難するのは自らの在り方に疑問をもたない思想である」と答えています。

文明と信仰の狭間

Maryたちが生きたのは信仰を守るのが難しい時代だった、と思います。技術や科学の発達が著しく、世界の仕組みが次々に明かされていった当時。小説の中では時代が進むにつれ、アイルランド以外の国や人のことが話題にのぼるようになります。段々世界が広がっていっているようで、意図的なら素晴らしい演出でした。

作中に登場するのはほとんどがカトリック教徒でしたが、そうした時代において信仰を保つのは中々簡単なことではなかったのではないでしょうか。

Maryも敬虔なカトリック教徒です。彼女は少し特殊というのか、頑固ながら柔軟な思考を持ち合わせていました。そもそもがキリスト教徒なのにアイルランドの神話を好み、その話を弟妹に語ってきかせるという。Seánを修道士にしようとした時に「神話を語ってきかせている姉がいると知られたら弟は受け入れてもらえないのでは…?」とうろたえるMaryがかわいかったです。

とにかく、Maryはなぜかその敬虔さを守り続けます。ミサには毎週通っていますし、神父や修道士には無条件で尊敬の念を示します。分子や原子の話を聞いても、その分子の中に神の存在を感じている節がありました。一方でThe Cluelty Menを恐れて嘘をつく。何なのでしょうね彼女は…。世の中の不条理は大人しく受け入れるのに変なところで行動力を見せます。

Maryの住む世界は非文明的と称されます。電気が普及してもガスを使い続け、テレビではなくラジオを聞き、神話を語って聞かせる。

そのMaryと似て非なる立ち位置にいたのが教会とその派生団体でした。彼らは時代に取り残されます。内部改革を否定したり他宗教や科学を学びすぎるのを危険視したり。女性が医者の道に進むことも許さないし、女生徒が数学を学ぶことですら非難の対象にします。社会に出たところで、出しゃばるなと常に監視されているような状況でした。こうやって昔の女性は悉く望む進路を断たれてきたのでしょうね。

信仰を守るのは素晴らしいことです。神に仕える選択は尊いものと思います。かといってそこにある規則が全て正しいものとは限りません。新しい発見がある度、間違いを見つける度に修正はされて然るべきです。Maryはその変化を受け入れられた、教会は受け入れられなかったということなのではないでしょうか。というよりも、教会はあまりに色々な人の思惑と利権が絡み過ぎて身動きがとれなかったのでしょう。

そして、文明が進みそれほど熱心な信仰を抱けなくなった若者たちは、別の形で救いを得ます。かつてキリストが十字架でもって示した愛を他から知るわけです。

形は変わっても、受け取るものは同じ。その時にMaryたちと若者たちを繋ぐものは、やはり物語ではないのかと思います。創作物である物語にも、ひょっとすると世の真理が隠れているものですし。

著者について

Emer Martin

ダブリン生まれ。世界各国に渡り住む作家・芸術家・教師。

処女作"Breakfast in Babylon"で1996年にListowel Writers’ WeekのBook of the Yearを獲得。子ども向けの本も何冊か書く。