6&4

アイルランドの本(小説・児童書・YA)を紹介するブログです。

レビュー:幸福の王子

幸福の王子 (ポプラ世界名作童話)

幸福の王子 (ポプラ世界名作童話)

 

ジャンル:児童文学、ファンタジー

ページ:141

あらすじ

町の広場に「幸福の王子」という宝石や金箔で出来た像があった。ある時、1羽のツバメが王子の元へやってくる。(「幸福の王子」)

大男が留守の間、彼の庭は子どもたちの遊び場だった。しかし大男が帰ってくると、高い塀を建てて子どもたちを締め出してしまう。とたんに庭には春が来なくなってしまった。(「わがままな大男」)

その花火は、王子の結婚式で打ち上げられるのを心待ちにしていた。自分こそが最もすばらしい花火だと信じていたのだが……。(「すばらしい打ちあげ花火」)

感想

児童書として

表題作「幸福の王子」は超有名作とだけあって間違いない面白さ。美しいが物悲しい雰囲気は3作どれにも共通して存在する。

しかし「幸福の王子」をはじめとして、どう受け取ったらいいか複雑すぎる話ばかりだ。このいずれかで小学校の授業計画を作れと言われたら難儀しそうである。

哲学的な内容や人間の業を描いていることがその難しさの要因だろう。加えて、「わがままな大男」はキリスト教の知識がないと話の筋すらわからない。そうなると余計複雑になる。

とはいえ、ツバメの優しさはそれだけでも胸を打たれるものがあるし、金銭を持っているから幸せなのではない、という教訓もわかりやすい。「わがままな大男」が改心した結果、周りから愛されるようになったことも理解はたやすいのではないか。

なんというか、読む世代によって受け取るものが違う作品ばかりのように思える。それこそ名作と呼ばれる所以なのかもしれない。

大人が読む児童書として

幼い頃に読んで、今回再読した「幸福の王子」。受ける印象は全く違った。特に王子に対する感情は正反対のものだった。心を入れ替えた王子ですらエゴからは逃れられないのかもしれないと思う。

王子はツバメが「もう飛び立たないと冬になって(死んで)しまう」と何度も言っているにも関わらず彼を引き留め、自分の願いを叶えてもらおうとする。「もういいよ」と言った時には既に遅く、ツバメは飛び立つ力もなくなっていた。今さら言われたって、というやつである。

加えて、王子は貧乏な人に宝石をあげることが良いことだと信じ切っている。宝石を持っていると悟られて強盗にあうかもしれないし、一時の大金に目がくらんで自堕落な生活を送ってしまうものもいるかもしれない。……と思ってしまううのは、心が汚れすぎだろうか。何にせよ、宝石は確かに人を幸せにするだろうが、貧困を生む原因の根本解決にはならない。けれど王子は幸せなのだ。「自分が良いことをした」から。ツバメだけが見返りも見栄も何もなく、ただ純粋に王子の頼みを聞いてあげる。人間はどこまで行っても自分勝手に生きるしかないのか。

 

幸福の王子」はかなり穿った見方をしたが、「すばらしい打ち上げ花火」はどこかのビジネス本にも載っていておかしくないほど大人向けであると思う。

自分がすごい花火だと信じて疑わない打ち上げ花火。しかし打ち上げられなかった花火には何の価値もなく、周りはぞんざいにしか扱わない。その扱いと自尊心の差に気がつかないことは幸福なのだろうか。

 

全体を通して、人間(または擬人化された物)に嫌気がさすような物語ばかりだ。人間は寂しく、自己中心的で、傲慢な生き物なのだと思ってしまう。けれどワイルドはそのままで物語を終わらせることはない。人間以外から与えられる善性が、わずかな光となって話を締めくくっている。非常に19世紀末的な展開だと言ってしまうのは簡単だが、ワイルド自身がこのくだらない世の中に少しでも救いを見出したかったのだろうかと思う。

著者・訳者について

著者:オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)

生没年1854~1900年。ダブリン生まれ。例によってトリニティ・カレッジ出身。

様々な文学活動を行い、日本の明治時代文豪にも影響を与えた。一方幼い頃から女装したり、大きくなってからは自ら女装したり奇抜な格好をしていた。結婚し子を授かるも、男色がきっかけで投獄、孤独のまま亡くなる。

訳者:森山京石井睦美

森山京童話作家。「きつねのこ」シリーズなど。

石井睦美:児童文学作家、翻訳家。「そらいろのひまわり」など。

森山さんが2018年に亡くなられているので、恐らくその後を石井さんが引き継がれたのだろう。あとがきは石井さん。やたらと「ワイルドが女装していた」記述が多かったのは…どうしてだ…。

さすが現役作家陣の翻訳と言えばいいのか、「恋は死んだの」など詩的な表現が印象的に選ばれていた。