レビュー:The Weight of a Thousand Feathers
本について
The Weight of a Thousand Feathers (English Edition)
- 作者: Brian Conaghan
- 出版社/メーカー: Bloomsbury YA
- 発売日: 2018/06/14
- メディア: Kindle版
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ジャンル:YA、介護、LGBT
ページ:320 全60章
あらすじ
Bobby(ボビー)は高校に通いながらも、難病に侵された母の介護を行っていた。加えてまだ幼い弟の面倒まで見ている。家族のこと、自身の将来のこと、そして自分の指向のこと。様々な悩みを抱えるBobbyは、ある時、親の介護をする若者の集まりに行きアメリカ風に話すLou(ルー)に出会う。
登場人物
Bobby Seed(ボビー・シード)
主人公、17歳。学校に通うかたわら、母の看病・介護をし、弟Dannyの面倒も見ている。家族のことは愛しているが、日々に疲れてもいる。また自分自身、誰にも言えない悩みを抱えていた。
良い子です。聖人君子かっていうくらい良い子なんです。それだけにBobbyが悩み苦しんでいる時はこっちも辛い気分でした。なぜこんなに苦しい目に合わなければならないのかと。物語はBobbyの1人称で進んでいきます。詩的センスのあるBobbyの文章は美しく読んでいて気持ちが良かった。
Mum(ママ)
BobbyとDannyの母。MS(多発性硬化症)という難病にかかり、ほぼ寝たきりになっている。身体がどうにもならないことに苛立ちつつ、息子らへの愛は強い。
Danny Seed(ダニー・シード)
弟。正式名Daniel(ダニエル)なので、Dannyと呼ばれたりDan(ダン)と呼ばれたりしています。学校に行きたがらない、制服をちゃんと洗わないなどBobbyの悩みの種でもあります。あとXboxのゲームが好き。
こうして客観的に書くとむかつく弟ですが、作中ちょこちょこかわいいです。Bobbyの具合が悪い時ママのように寝たきりになるんじゃないかと心配して傍から離れない、とか。
Bel(ベル)
Bobbyの親友。美少女だがBobbyは全く恋愛対象として見ていない。性格は大雑把でよくBobbyをからかって遊んでいる。
Lou(ルー)
親の介護をする子どもたちの会Pozitiveで出会ったアメリカ風の英語を話す少年。古いベスパに乗っている。ウィンクを乱用する。
良い意味でも悪い意味でも、Bobbyに多大な影響を与えることになります。
物語補足
gear
gearというと通常「歯車」を意味します。作中でも何度かこの単語は登場するのですが、全て「歯車」という意味ではありません。Oxford Dictionary(gear | Definition of gear in English by Oxford Dictionaries )によれば英国俗語で「違法ドラッグ」の意味を持っています。特にヘロインを指して言うそうです。
ヘロインといえばダウナー系のドラッグであり、最も依存度が高いとされています。こんなのヤングアダルトの本で登場させて大丈夫なんでしょうか。
感想
I am who I am
というのが、この小説のテーマだったと思います。主人公Bobbyはもちろん、ママをはじめとした登場人物みなが「自分とは何か」「本当の自分」という問題に向き合っていました。
Bobbyは良い子です。ママの看護介護を行った疲れで、学校では寝てしまう。DannyはBobbyの苦しみを共有するには幼すぎる。将来のことも考えなくてはいけないし、何より自分自身が人に言えない秘密を抱えている。これでよくぞ逃げ出さなかった。Bobbyが自身の状況を指して「A thousand feathersの重みが肩に圧し掛かる」と言ったのは、真綿で絞殺されるような日常を見事に表していました。
誰かに理解してもらいたい、悩みを聞いてほしいと普通なら思ってしまうでしょう。けれどBobbyは全てを1人で背負おうとし、結局自分の秘密を読者にすらはっきり明かすことはありませんでした。ただ普通に推測できるレベルには描写されていました。
Bobbyのような状況にいる子どもはそんなに多くない…と思いたいのですが、本当の自分をさらけ出したら嫌われてしまうのではないか、今の自分は本当の自分なのかという悩みは思春期共通ではないでしょうか。その意味で、Bobbyは思春期の子たちに受け入れやすいキャラクターになっているのでは。
そしてママも「自分らしくある」ことに悩んでいきます。病気で身体がままならない彼女は、息子たちに母親らしいことが出来ないと常に苦しんでいます。息子を自分の介護で手一杯にさせていることに罪悪感もある。病気が悪化するばかりと察した時、ママは自分を保つためにある決断をします。それがまたBobbyを苦しめもするのが何とも言えない。ママの決断は息子たちへの愛にあふれていましたが、結局人間は死ぬまで自分本位であるしかないのかもしれません。
医療が発達しても完治できない病気はあります。ただ技術の進歩により生きながらえることは出来るようになった。記憶を失っても、身動きが出来なくても、話せなくても、思考できなくても、それは私だと言えるのか。その時に「私」を私はどう定義して生きるのか。とても難しい問題だと思います。
著者について
Brian Conaghan
スコットランド生まれ、現在は拠点をダブリンに置く。スコットランド、イタリア、アイルランドで教鞭をとっていた。2016年にコスタ賞を受賞している。